ブログDE読書日記

ブログで自己啓発・ビジネス・資産運用・IT関連本のレビュー(感想)を紹介します。と、最初は思っていたのですがビジネス書以外についても書きます。っていうか、いわゆる日記ですね。

2012年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年06月

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確実な不確実性

そういえば以前に読んだRPGの進め方に、人生が見えるを何となく思い出した。

私もRPGをしていた時、絶対に死なないようにレベルアップをし、今買い得る最高の武器、防具を買いボスへと向かっていました。

友人は死にながらもさっさと前に進んでしまい、自分よりもはるか先にクリアしてしまっていた。

RPGならクリアするスピードを競う訳では無いような気もするので、私のような慎重に慎重を重ねながら進めて行っても問題は無いと思うが、現実はそんなことをしていたらいくら時間があっても足りない。

完璧を目指すことは素晴らしいことだ。今でもその気持ちを無くしたくは無いと思っている。一回妥協すると何でも妥協してしまいそうで怖い。

しかし、現実は時間をかけたからといって確実になるものばかりだとは限らない。

不確実性は確実にある。

いくら考えてもどうなるかわからないものはいつまでたってもわからない。

実際にそうなってみないとわからない。

私はそういう事に対して、絶対に決めたりしない。いや、決めることができない。動くことができないでいる。

よっぽどチキン。

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となる。
迷わず行けよ。行けばわかる
by アントニオ猪木



引用元の記事のトラックバック先を見ていたら自分の記事が出てきた。3年前もこの記事を引用して同じ事を言っていたことに気付いた・・・3年前から何も変わっていない自分に今さらながら気づき、三つ子の魂百までとはよく言ったものだと思う今日この頃でございます。
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| 日記 | 21:19 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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「人間失格」太宰治


人間失格 (集英社文庫)人間失格 (集英社文庫)
(1990/11/20)
太宰 治

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日本文学といえば太宰治。太宰治といえば人間失格でしょ!と考えるくらい日本文学を何も知らない人間が「人間失格」を読んでみました。

私がイメージする転落人生そのものでした。

女、酒、薬そして人間崩壊...

ただ人間失格に至る原因が繊細なものだと感じました。

確かに転落人生なのですが、人間不信のあまりに自分をダメにしてしまった人生だったような気がします。

欲望に溺れた訳でもなく、ただただ人間を信じることができなかった。自分自身も...

私は度胸が無いから、転落することすらできません。ただただ、そこにとどまっているだけ。

転落するにも勇気がいるのかなと思います。

転落するのも怖い、前向きに頑張るのも頑張り続ける自信が無いから怖い、だから何もできません。

どんな本を読んでも、ベクトルはいつも自分を指しています。自分、自分、自分。

いつも自分のことばかり。

だからにっちもさっちもいかないのでしょうか?

今年の目標は頑張らない事です。
で、今年はすでに半分まで来そうな勢いです。

で、どうだっただろうか...?

やっぱり変わらないんですね。何もできないでいる自分がいます。

欲望のままに生きてみたいと思ったりもするけど、後先を考えると、踏みとどまってしまいます。

自分の人生なのだから、自分で責任を取らなければならないと思ってはいるのですが、自分ことばかり考えている割には、何だかな~です。

要はあまのじゃくなんだと思います。

不自由だと自由になりたくなるし、自由だと不自由が恋しくなる。バカな人間なんです。

その時、その時を生きて行くしかないのかもしれません。

そういえば「ブッタとシッタカブッタ3 なぁんでもないよ(小泉吉宏)」の言葉が最近身にしみます。

自分を笑いなさいな
深刻になると
人生を見誤るよ



| 小説 | 21:13 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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「こころ」夏目漱石


こころ (新潮文庫)こころ (新潮文庫)
(2004/03)
夏目 漱石

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上司に薦められて読んでみた一冊です。

その上司とは2年前に私が移動してきた時に初めて一緒に仕事をすることになりました。

正直2年間、まともに話をすることはありませんでした。

その上司はこの4月1日に人事異動のため、他部署へ異動していきました。

その後の歓送迎会で初めてじっくりと話をしました。その方は50代独身の男性です。私の職場ではエリート街道だと思います。

その上司の印象は何を考えているかわからなくて、そしていきなりキレるので、恐ろしい人間だと思っていました。また、今もそう思っています。

しかし、その恐ろしさの中にも、何だか人間らしい一面があると感じていました。たぶん、思想家みたいなところがあるんだろうなと思っていました。

私の職場の酒飲みの席次は一定の人を除いてくじ引きで決めます。そして、この2年間100%の確率のその方の隣の席を引き当てていました。

面倒くさいから、隣は絶対に嫌だと思ってくじを引くのですが、いつもその人の隣の席を引き当てていました。

3時間くらいの酒飲みの場が数回あったと記憶していますが、全然内容の無い話ばかりをしていたと思います。

どう付き合ってよいのかわからないまま、2年間を過ごしました。

しかし、歓送迎会の場ではもうこの人ともお別れだと思うと、何だか思い切って自分のことを話してみたくなりました。たぶん相手もそう思っていたような気がします。

1次会では、何だか恥ずかしくて話すことができませんでしたが、そこそこお酒も入った2次会では隣に呼ばれたので思い切っていろいろ話をしてみました。

上司は読書が好きということで、これはと思い自分も読書が好きでいろんな本を読んでいると打ち明けました。でも、読んでいる本のジャンルは言いだせませんでした。

何だか私は娯楽のような本ばかり読んでいて、本を読んでいると言ってみたものの、読書に上も下も無いと思うのですが、恥ずかしくなってしまったのです。

読書に対する姿勢のようなものが私はすごく浅はかであって、読書などは暇つぶしであって、現実逃避の手段であったからです。こういう姿勢を上司に対してするのが、恥ずかしくてどんな本を読んでいるのか言うのがはばかれたのだと思います。

私の話しは置いておいて、上司はどんな本を読んでいるのか興味があったので、聞いてみました。そしたら「日本文学」だというのです。

日本文学といっても具体的に何を言うのか、私はさっぱりわかりませんでしたので、入門編は何かないかと尋ねたところ紹介されたのが夏目漱石の「こころ」でした。

夏目漱石という人が数年前の千円札に描かれていたことは知っていましたが、どんな話を書く人なのかは恥ずかしながら全く知りませんでした。

何だか難しそうだなと思いつつ、せっかく紹介された本だから読んでみようと、読みにくい文章を丹念に読んでみました。

この本から何を感じ取ることができるのか?わかりませんが、自分なりに考えたことを書いてみたいと思います。

先生と先生の友人Kは自殺してしまうのですが、なぜ二人は自殺してしまったのか?
私のイメージとして、哲学者は考えて考えて精神崩壊して自殺してしまうイメージがあります。

この二人は哲学者では無く、思想家だと思うのですが、やはり考えすぎた...いや、ちょっと違うような気がしてきました。

Kに関しては、精神と肉体との不一致に悩まされて自殺してしまったような気がします。元々宗教家の家に生まれた彼は精神は高潔なもの、肉体は低俗なものと考えていたのでしょうか。

人を好きになるということは自分の目指すものとは相容れないことであるのに、自分の気持ちを抑えきれないほど好きだという気持ちが募っていく。

そんな事を人に相談することは、もはや自分の目指しているものになれない行動であるのに、人に相談したところ、人を好きになるということはやはり自分の今までの人生を否定するものであると確信したのかもしれません。

だったら、もう生きている価値は無いと思い自ら命を絶ったのでしょうか。もっと前に死ぬべきだったとの遺言から、好きな気持ちに気付いた時点で死ぬべきだったと思っていたのかもしれません。

また、先生は親友を裏切って恋人を手に入れたことに罪の意識に悩まされ死んでしまうのですが、死ぬまでの葛藤がこれまた真面目すぎるのです。

これが明治時代の思想家の生き方なのかもしれません。

たった一つの後悔がずっとずっと先生を苦しめます。何かに没頭すれば忘れられるかもしれないと、研究をしてみますが、そんな気持ちで始めた研究など長続きはしなかったようです。

次に自暴自棄になって酒に溺れてみますが、しばらく溺れてみて嫌になって酒に溺れるのもやめてしまったようです。

妻の母が病気になり看病した時は、「やるべき事」ができて気が紛れたようです。その母が亡くなった後は妻に対して精一杯親切になったそうです。

そうすることによって、罪の意識から、そして過去から逃れようとしていたのだと思います。

でも、逃れることができなかった。そして、遂には過去と決別するには「死」しかないと思うようになるのです。


なぜ、明治時代に書かれた夏目漱石の「こころ」が100年以上たった今も読まれているのか?

自殺した二人の考え方なんて、今の時代に合ってないにも程があると思っていながら、どこか自分と似ているところがあると思えてなりません。

共感できる部分があるのです。

特に先生のやってきたことに私は恐ろしさを感じます。

私も何かから逃げるために読書をしたり、酒を飲んだりしています。

私の場合は罪悪感から来るものではありませんが、現実から逃避するために、それらのことをしている気がします。

今ある「ここ」を見ることなく、他のどこか、例えばこの本で言えば「過去」でしょうか、そこにこだわり過ぎると待っているのは「死」のような気がします。

先生は幸せになろうと思えばなれた、心の底からなることはできなかったかもしれませんが、妻のことを思えば幸せになることができたのではなかったか。

あまりにも自分に意識が行き過ぎていたのではないか。

現実を逃避するために読書をしているのが、現実を見せつけられたような気がします。

なぜ、書かれてから100年以上もたつ夏目漱石の「こころ」が読まれているのか、少しだけわかったような気がします。

10年後にもう一度読んでみたいです。

そして、この本を薦めてくれた上司に感謝したいです。恐らく、その上司に薦められなければ一生読むことは無かった一冊だと思います。

本を読むこと自体に大した意味など無いと思っていますし、この本を読んだからと言って、人生が豊かになるか、と問われればそうではないかもしれませんが、読めてよかったと思います。
自分の内面を垣間見たような気がしましたから。

もうちょっと日本文学を読んでみたくなりました。しかし、上司に一つ注意されたことがあって、日本文学の内、暗い話は若いうちに読まないと危険だと言われました。

確かに暗い話は引きずり込まれそうになります。戻ってこれなくなりそうです。若いうちはみなぎるパワーで戻ってこれそうですが、私はけっこうギリギリだと言われました。むしろ遅いかもということでした...

恐いモノ見たさでもう一冊くらい読んでみたいと思います。

| 小説 | 20:54 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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