ブログDE読書日記

ブログで自己啓発・ビジネス・資産運用・IT関連本のレビュー(感想)を紹介します。と、最初は思っていたのですがビジネス書以外についても書きます。っていうか、いわゆる日記ですね。

2010年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年01月

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もうちょっとだけ・・・

どんな事があっても、周りの風景は変わらず、日々が過ぎ去っていく。

皆、それぞれの生活があって、それぞれ頑張って生きている。

父と祖母が亡くなり、慌ただしかった日々も終わり、今週からまた通常通りの生活が始まった。

ここ2ヶ月は毎日ハラハラしながら生活してきた。いつ急変してもおかしくない二人の家族の急変の電話がいつかかってくるかハラハラしていた。

毎日仕事を終えるとそそくさと病院へと通う日々が続いた。出勤前にも顔を出していた。

そんな日々が急に終わってしまった。

思えば平成20年の4月に父のガンがわかってから、2年7カ月。そして、平成22年5月に母の胃ガン告知から、6ヶ月。

今にして思えば、父は相当長い期間、闘病生活が続いていた。もっともっと長いこと、病気と闘っている方もいらっしゃると思うけど、治ることも無いとわかった後の闘病生活はさぞかし辛かっただろう。

父は常に前向きだった。病気に屈することは無かった。父はいつまでも強かった。そしていつまでも自分にとって「父」だった。

祖母はいつまでも「祖母」だった。いつまでも優しい祖母だった。俺は男のくせに冷え性だから、この時期は手が冷たくなっている。祖母が亡くなる数日前に私の手を暖めてくれた。

祖母の手で。祖母の頬で。温もりを感じた。


まだまだ実感が湧かない。二人の家族がいなくなってしまったことを。

家に行けば、病院に行けばまた会えるような気がしてならない。

几帳面で強かった父と。

優しくて暖かかった祖母と。

また、会いたい。会って話をしたい。

もっともっと安心させてあげたかった。


49日までは悲しんで良いそうだ。それまでは、まだ「こっちの世界」にいるらしい。
もうちょっとだけ悲しもう。

そして、49日を過ぎたら前を向いて歩いて行こう。
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| 雑記 | 21:30 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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ありがとう

平成22年11月29日(月)午前8時30分に母から電話が来た。
「祖母がそろそろ逝きそうだ」ということだった。

最近、父の件でも祖母の件でもそういった電話は来ていたので、比較的冷静な気持ちで身支度を整え、病院へと向かった。

祖母の姿を見ると、いつもと変わらない様子だった。医師は1日~2日だろうということだった。
祖母に声を掛けると、「うん」とか「あ~」とか返事をした。

意識はまだあるようなので、少しだけ安心した。
もっとも祖母は、できるだけ早く逝きたいと病気になってからよく言っていたので、祖母本人としてはさっさと逝きたいという気持ちだったかもしれないけど…

祖母の妹や親戚などが来て、何だかんだしている内にお昼になり、休憩室で弁当を食べ、祖母の病室に戻った。今思うと、少しだけ呼吸が浅くなっているような気もする。

看護師が来て、検温したり体を拭くということで、病室の外に出て少したったときに、看護師が祖母の異変に気付いたらしく家族を呼びに来た。

病室へと戻ると、祖母の呼吸は今にも止まりそうだった。そして、数分後の平成22年11月29日午後3時12分に祖母は天国へと旅立って行った。

1ヶ月の内に二人の死に立ち会った。

父の時は、家族が死ぬということが23年振りということと、初めて死に立ち会ったということで、涙がボロボロでてきた。父の場合はまだ若かったこともあり、まだまだやりたいことがあっただろうと思うと涙がボロボロでてきた。

祖母の場合は、なぜか涙が出て来なかった。私の両親は共働きだったため、私は祖母に育ててもらったといっても過言ではないくらい、祖母にはお世話になった。
なのに涙が出て来なかった。

悲しくなかったわけではない。祖母だって90歳まで後5年くらいは生きたかったと言っていたので、まだやりたいことは多少なりともあったのだろう。

ただ全体的に祖母は、人生に悔いなしという感じだったと思う。天国に行けば優しい祖父も待っているということもあり、死に対する恐怖も少なかったのではないだろうかと思う。

祖母が無くなる時、不思議な現象を目の当たりにした。祖母は髪の毛が真っ白だったのだが、亡くなる数日前から黒い髪の毛が生えてきていた。眉毛も黒くなっていた。また、父も髪の毛は真っ白で、抗がん剤治療のためにほぼ髪が無くなっていたのだが、亡くなる数日前から黒い髪の毛が生えてきていた。

和尚さんが言っていたのだが、亡くなる時にはそういった現象が起きることがあるらしい。この世に対して「うらみ、つらみ、ねたみ」などが無く、穏やかな気持ちになれる人は亡くなる前にそういった現象が起きるらしい。そういう人は極楽に行けるということらしい。

祖母の場合は黒髪の他にも、顔のしわが無くなり、つやつや言っていた。不謹慎だけど、祖母の死に顔はとても可愛いらしかった。
亡くなる2ヶ月前からほとんど食事ができず、2週間前にはほぼ絶食状態になっており、点滴も何もしていない祖母の栄養状況はかなり悪かったはずだ。それなのに肌がつやつやになるとは、不思議なものだ。

きっと祖母は極楽に行ったのだろう。

病室で涙はでなかったけど、葬儀の節々、入棺や出棺、火葬、葬儀で流した祖母のDVDを見た時などは涙が溢れてきた。

祖母の遺影を見るたびに優しい祖母のことを思い出す。

「孫は目に入れても痛くない」と言われるが、祖母もきっと私のことがそうだったのだと思う。そう思うくらい沢山優しくしてもらった。

私もそんな優しい祖母が大好きだった。おばあちゃん子とはまさしく私にぴったりな言葉だと自分で思ったりする。

こんなに話をする祖母と孫がいるだろうかというくらい、祖母とは話をした。いっぱいいっぱい話をしたから、私自身、後悔も少なかったのかもしれない。もちろんもっとしておきたかったことはあったけど、それでも自分なりに祖母孝行できたのかなと思う。

葬儀が終わって一段落し、祖母の年金手続きのために祖母のタンスを漁っていると、私と姉の結婚式の席次表がでてきた。その裏表紙に祖母の日記が綴ってあった。

孫たちの結婚をすごく喜んでいる祖母の日記だった。その祖母の気持ちになかなか応えられない時もあり、自分のふがいなさに涙が込み上げてきた。

もっともっと安心させてあげたかった…

まだまだ実感が湧かない。実家に帰ると祖母が編み物を編んでいそうな気持ちがする。

1ヶ月の間に父と祖母がいなくなってしまった。わかっていた事、いずれ別れが来るとは思っていたとはいえ、何とも言えない気持ちになる。

父が亡くなってからは、祖母のことで忙しかったから、父が亡くなった悲しみを実感している暇などなかった。しかし、祖母が亡くなり、忙しさも半減し、何かと思いでにふける時間もあることだろう。そうなれば悲しさ、寂しさを徐々に実感してくるのだろうか…

残された母のためにこれからは忙しくしていこう。もちろん自分自身の家族のためにも忙しくしていこう。

まずは残された母のために快適に過ごせるように家をリフォームしてあげようと思う。これからは雪も降ってくるし忙しくなりそうだ。


おばあちゃん、今までありがとう。おばあちゃん大好きだよ。天国でおじいちゃんと幸せに・・・

| 祖母のこと | 22:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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