ブログDE読書日記

ブログで自己啓発・ビジネス・資産運用・IT関連本のレビュー(感想)を紹介します。と、最初は思っていたのですがビジネス書以外についても書きます。っていうか、いわゆる日記ですね。

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別れ

平成22年11月8日午前に母から電話が来ました。
父の容態が悪化したため、すぐに病院に来てほしいということでした。
すぐさま病院に駆け付け、看護師の説明を聞くと意識はあるが心拍数、血圧が降下しているということでした。

家族全員でいきなり会いに行くと、不安を与えてしまうと思い、私はとりあえず職場に戻ることにしました。
その時は「今すぐどうかなる」という状況では無いと思っていました。

ところが職場に戻る途中で再び連絡が入り、さらに容態が悪化したということでした。
大至急、病院に戻り、父に会いに行くと既に酸素マスクを付けた状態でした。

話しかけると、「うん」とうなずいてくれました。

それから徐々に呼吸の感覚が長くなり、平成22年11月8日午後4時4分に父は息を引き取りました。

そして、バタバタとお通夜、火葬、葬儀そして諸手続きと、悲しんでいる暇も無くあっという間に1週間が過ぎて行きました。

父は平成20年5月に「大腸ガン」を患い、手術を行った後、抗がん剤治療を続けてきました。体力的にも精神的にも辛く、不安な気持ちに押し潰されそうな日もあったと思いますが、常に前向きな気持ちで治療に専念していました。
また、最後まで自分の事は自分で何でもやる父でした。
それは、家族に負担をかけたくないという父の優しさだったのだろうと思います。

父が亡くなり、父と親交があった方々から様々な話を聞いたり、そして自分自身で様々な事を考えました。

自分自身後悔はなかった?と考えると・・・
父とは病気になる前には面と向かって何か話したということはあまり無かったような気がします。どこの家庭でも同じようなものなのかもしれませんが、父が元気な時にもっと話をしておけば良かったような気がします。
もっと精一杯、父と向き合えば良かったような気もします。
それでも、病気になってから2年6ヶ月間はいろんな話をしてきたよう気がします。
父がどのような生涯を送ってきたか少しだけ分かったような気もします。
また、終末期には今まで簡単に出来たことが出来なくなり、イライラしていたせいか、私もどう対応してよいかわからず、素っ気ない対応をしてしまったかもしれません。
あまりに気を使いすぎるというのも、自分の中で「よろしくない」と思っていたので、逆に普通にしようとしていた感もありました。

また、最後の最後まで心配をかけてしまったことを後悔しています。自分自身が責任ある大人になりきれず、大変心配をかけてしまったと思っています。

まだまだ語りつくせぬ思いがありますが、今日は疲れてしまったのでまた後日書きたいと思います。

また、祖母の病状も心配です。ほとんど食べることができない状況のうえ、点滴も拒否しているため、心配でなりません。
祖母は平成22年10月11日に緩和ケア病棟へと移動しました。腰の圧迫骨折はまだ完治していませんが、外科の医師と緩和ケアの医師が協議した結果、緩和ケア病棟へと移動することになりました。
その協議内容がどういうものであったかまだ聞いていませんし、血液検査などは一切していないため、病状がどうなっているのかわかりませんが、移動する時期なのかもしれません。

祖母の意志を最大限尊重できる環境作りに、私は最大限の努力をしようと思います。
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| 父のこと | 22:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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覚悟やら責任やら

10月17日(日)に父が再入院した。
日曜日の朝にメールが来ており、数時間後に気づいた私はすぐに電話をすると、まつたけを貰ったから取りに来いと言った後に、言いにくそうに「入院しようかと思っている」と言った。

すぐさま実家に駆けつけると、心の準備ができないので午後から病院に行きたいということだった。

以前、祖父が同じ状況の時に父が病院へ連れて行ったという話をいつか聞いた。
恐らく今自分がその状況にいることを感じているだろう。

そして、私もいずれそうなるかもしれない・・・

父は4日ほど固形物を何も食べれなくて相当痩せていた。手術前後からだいぶ痩せていたし、頻繁に会っていたのであまり気付かなかったが、相当痩せたようだった。恐らく体重は30キロ台だと思う。

何とか自分の足で歩いて、車に乗り込み病院まで連れて行ったところ、救急外来であるにもかかわらず即入院することが決まった。

カロリー補給のため?の点滴を受け、環境が変わったからか、病院ということで安心したのか食事も多少だが食べることができた。

話は変わるけど、父は気難しい。それも相当気難しいと思う。入院当日から看護師と揉めていた。看護師も相当イラついているのが伝わってきて、見ているこちらがドキドキしてしまった。

何だか最近父が以前にもましてその気難しさがパワーアップしてきたような気がして、私もちょっとイライラしてしまった。そして、父にもうちょっとその気難しさを何とかしないと、病院に居づらくなるぞと言ってしまった。

父は黙ってしまった。イライラにまかせて言ってしまったことを少しだけ後悔している。でも誰かが言わなければ本当に看護師全員から疎まれる存在になってしまいかねない。気難しいけど意外と言うとその場では納得しないようだけど、後で少しだけ反省しているような気がする。

そして、昨日(10月21日)に母から、明日主治医から病院に来るように言われたので行ってもらえないかと連絡がきた。父には秘密で来てほしいということだったので嫌な予感はしていた。というか、父の姿を見れば相当病状が悪いことは明らかだった。体はやせ細り、その体に似つかず腹水のせいで腹だけがぽっこり突出し、そして足はまるで棒きれのようなのに足首から下だけが象の足のようにむくんでいる。

どう考えても良くない状況であることは誰の目から見ても明らかだった。

何が起きてもおかしくない状況である、恐らく年末年始を越すのは難しい、というのが主治医の話だった。

覚悟はしていたつもりだが、いざ具体的な話をされると、やはり動揺していしまう自分がいた。

もともと気難しかった父が、病気で辛いためかさらに気難しくなって何を話していいかわからない。それでも病院に行こうとは思う。

そういえば主治医は退院はできないが、外出や外泊ならばしてもいいと言っていた。一般的に、というかテレビや本で見る限りでは、病院よりも家にいたい、特に病気の終末期は家で過ごしたいと考える患者が多いように思われる。しかし、私が思うに父は
①入院しているほうが安心である
 →食事や身の回りのことが病室内ですべて完結するため
 →点滴をして、何となく安心感がある
 →急変したときに即対応してくれるため
②外泊(家に泊まる)したい気持ちが少ない
 →家に執着があまりない
 →元々家族団欒のようなことが好きでない
 →一人でいることを好む性格である
 →病院から離れることは不安に思っている
③前向きな気持ちの糸が切れる可能性がある
 →現在、点滴と食事によって体力回復を希望としている
 →入院して1週間しか経っていないのに、なぜ外泊する必要があるのかと思われる

父は今自分の体をどう感じているのか?
少しでも体力を回復して、また抗がん剤治療をしたいと言っていた。父にとって抗がん剤治療は命をつなぎとめるモノであると考えている。実際、父は抗がん剤治療が良く効く体質だったようだ。大腸ガンステージⅣで手術もしたけれど、その後2年半今まで何とか生きてこれたのは抗がん剤治療のおかげだったと思う。非常に緩やかなペースだったけれど徐々に体力が落ちて行ったのは、抗がん剤治療のせいではなく、病気のせいだったではないかと思う。もちろん副作用もあったけど、壮絶なものでは無かったような気がする。もちろん父にとってはそうではなかったのかもしれないが、父は望んで抗がん剤治療を受けていたと思う。
その一方で私に対して、いつも携帯電話はズボンのポケットに入れておけと指示を出された。いつ何が起きるかわからないので常に連絡がとれる状態にしておいて欲しいということからだった。

「死」についてはあまり深く考えたことはない。恐くて考えることができない。考えたところでその時になってみないと結局はわからないし、想像だけ膨らんで意味の無いことだと思って考えないようにしてきた。
父は今どう思っているのだろう。
恐怖はあるだろうと思う。生きているうちに死を受け入れることができなければ、死というものはものすごく怖いモノのような気がする。しかし、死を受け入れてしまったら、少しでも体力を回復しようという気力が途切れてしまうような気もする。

父に対して私ができること・・・何も無いような気がするけど、病院に行って父の話を聞くことだけはしよう。

また、主治医からの話によって、「今後のこと」について妙にリアルに感じるようになった。例えば、家のこと。家はもちろん母が維持管理していくことになると思うのだが、母が一人で住むにはあまりにも無駄が多すぎ、そして手間がかかりすぎる。母には今まで頑張ってきた分、これからは悠々自適に好きなように生きて行ってほしい。
もう苦労しないで生きて行ってほしい。

| 父のこと | 07:37 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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自分の小ささに気づいた日

3日に1回くらい仕事帰りに実家へ行く。

父の様子を見に行く。

病状を見に行くというか、何となく会いに行く。

いつも何を話したらいいかわからず、聞き手に徹する。

話を聞いてる俺の表情に気を使ってか、
今日は逆に励まされた。

検査結果で腫瘍マーカーが下がったという話を聞いた。

いつも気持ち悪いとか、食欲が無いという話ばかりしていては
おまえも家に来づらいだろうと、
たまにはうれしい報告をしないと家に着たくなくなるだろうと
父は言っていた。

そんなことはない。

どんなに暗い話だろうが、辛い話だろうが俺は父の話を聞くのは
苦痛ではない。

しかし、どこかでそういう気持ちをもっていたのだろう。

父の病気に対して何もしてあげられないもどかしさ。

全快は無理じゃないのかという無力感。

そんな気持ちが表情に出ていたのかもしれない。


自分(父)が一番辛いはずなのに、逆に気をつかわれた。


自分の小ささに情けなくなった。

家族が元気...とは言えないけど、とりあえず生活に支障なく
暮らしている。

自分の帰るところがある。

とりあえず仕事もしている。

これ以上、望むことがあるだろうか。

あとは自分の気持ち次第で何とでもなるのではないだろうか。

何も悩むことなどない。

小さくなった父に大きな勇気をもらった。

| 父のこと | 22:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子供の力

俺は子供嫌い。
うるさいし、わがままだし、KY(死後?)だし、近くで泣きだされた日にはもううんざりって感じだった。

1年半前に姉が子供を授かった。俺からしてみれば姪っ子ってやつだ。
それでも俺の子供嫌いは変わらないと思っていた。ところがどっこいいとも簡単に変わってしまった。姪に何をされても笑っていられる。もう、かわいくて仕方ない。

血が繋がっている子供がこんなにも可愛いとは思ってもみなかった。俺なんかより初孫ができた両親は何十倍も可愛いと思っていることだろう。

今日は姪っ子が実家に来ていて、俺も仕事の帰りに実家に回ってみた。いつもは俺にあまりなついていない姪っ子が珍しくというか、初めて俺にだっこをせがんできた。慣れてない俺は戸惑いながらも姪っ子を抱き上げた。

お互いに緊張して、俺も動けないし、姪っ子も俺に抱っこされたまま微動だにしない。そんな二人の姿を見て両親が大爆笑した。父はあまり笑うような人ではない。それでも今日は大爆笑していた。

俺は父が病気になってから、保険のことや薬のことなどいろいろと調べて父にアドバイス的なことをしてきた。いつも真剣な話になってします。ましてや笑顔なんてない。

病気で辛い時に保険や薬のことも大切だけど、やっぱり今の生活を充実して生きることが最も重要だと思う。充実した生活の条件というのは人それぞれだと思うけど、「笑顔」はなくてはならない存在だと思う。

俺は父を笑わせることはできない。充実した生活で必要な笑顔を与えることはできない。でも、姪っ子はいつも父を笑わせてくれる。子供のパワーは偉大だ。いまさらながらそう思わされる。

今日の父の笑顔は最高だった。姪っ子よ、1歳半のおまえの小さい肩には少し重いかもしれないが、これからも父が笑えるようよろしくお願いします。

| 父のこと | 19:33 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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CT検査の結果を聞きに行ってきた

今日は父のCT検査の結果を聞いてきた。
特に何も考えないで行ったけど、
検査結果は一般的だと思われる内容だった。

父は昨年の5月に大腸がん摘出手術を受けて、
その後抗がん剤治療(FOLFOX療法)を15回ほど
受けていた。

多少期待していたところはあったが、
腫瘍マーカーの値は上昇し、画像診断の結果
転移した肝がんが大きくなってきており、
また肺にも小さな転移が見られるという内容だった。

腫瘍マーカー(CEA)は10000オーバーとなっており
ネットや本を読んでもそんな数値に出会ったことはない。

何かの本でCEAは絶対値でなく相対的なもので推移、
減っているのか、増えているのかが重要であるという話を
見たような気がするが、10000という数値は異常だと思う。

父は最近あばら付近が痛いと言っていたが、転移性肝がんが
大きくなって圧迫しているために痛いらしい。

見た目もちょっと腫れているようだ。

今後の治療方針としては、FOLFOXが効かなくなってきたから
FOLFIRI療法に変更するらしい。

何でもこうすることが一般的らしい。
大腸がん治療ガイドラインとかいうものにもそのように
載っていた。

FOLFIRI療法で使われる抗がん剤(イリノテカン)は副作用が
強いらしく消化器官を傷つける恐れがFOLFOX療法よりも
高いらしい。

今までも気持が悪く食事がままならなかったのに
今後よりひどくなるかと思うとすごく不安になる。

また、髪の毛が抜ける副作用も顕著らしい。

本人は先生の前では強がって「頑張るしかない!」と言っていたが
内心かなりショックだったと思う。

よく言われることだと思うが、抗がん剤で体がぼろぼろになって
苦しみながら良くなるのかわからない、いや現状維持、いや
悪くなるスピードを落とすような治療と言っていいのかわからない行為を
行う必要があるのかどうか。

今の時代、がん治療に対する情報は非常に多い。
インターネットが整備されたおかげで、それなりの最新の
しかも専門的な情報を手に入れることができる。と思う。

ただ、それが逆に判断を迷わす原因にもなる。

絶対的に正しいことはな...いや、正しいことはあるだろうが
その正しいものの使い方にはいろいろあって必ずこれが正解ということは
ないだろう。

どの情報も一つの情報として認識して、後は情報の思い切った
取捨選択を行って、スピーディに実践していくしかないのだろう。

代替治療あれこれで代替治療に希望を持ちたいと書いた。

それは今の抗がん剤治療をハナから悪いものと決め付けていた感がある。

副作用がない、もしくは少ない民間療法にこそ希望があると考えていたが
それは間違った認識だったのかなと思う。

一方的なものの見方は非常に危険なことかなと思った。

民間療法に希望を託し、高額な医療費(医療ではないか?)を支払うことによって
自分は父に最高のことをやってあげていると感じたかった、
ただ自己満足したかっただけかもしれない。

今日、病院から帰ってきて自分のなかのモヤモヤとした気持ちがあり
以前から興味があった「がん相談ホットライン」に電話してみた。

どのような方(職業)であったかちょっと忘れてしまったが
一番大切なのは患者本人の希望ということだった。

患者本人がそういう希望や要望、不安などが言いやすい環境を
作ってあげることが大切だと言っていた。

まぁ、私の話もこのブログを見てわかるように
とりとめもない話をしてしまい、担当者の方も
困ったことだろう。


また、今日は病院から帰った後に、父と母、姉の子、犬そして私で
近くの公園に散歩に行った。

後ろからみんなの姿を眺めていた。
天気も良かったせいか、その光景にすごく幸せを感じた。

家族が一緒にいられること、そして笑っていられることに
これ以上ないと思える幸せを感じた。

| 父のこと | 22:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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代替治療あれこれ

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星野 泰三

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父に大腸がんが見つかってから10ヶ月が経った。

その間、どんなことをしていても頭の片隅には
そのことが離れたときは片時もない。

当たり前の話だが、本人はもっと辛い。
というか、どういう心境になるのか想像すらできない。

抗がん剤治療も10回以上を超え、最近では足がしびれてきて
とても辛いと言っていた。

終わりの無い辛い治療を見ていると、どうして良いか
わからなくなる。

父の場合は大腸がん自体は手術で摘出したけども
肝臓にも転移しているので抗がん剤治療が必要らしい。

大腸がんの治療方針などが詳しく掲載されているサイトを見た。
>>http://www.jsccr.jp/guideline02.html


まず、がんには3大治療というものがあって
・手術
・抗がん剤
・放射線
以上が、その3つ。

大腸がんの場合は放射線があまり効果が無いらしい。

今後のベストな方法は抗がん剤によって、転移した肝臓がんが
小さくなり、摘出手術でガンを摘出することだと思う。

もうすぐCTをとるのでその結果を見て治療方針を
主治医が決めるのだろう。

父は徐々に体調の悪化を訴えている。

抗がん剤の副作用か、それとも転移した肝臓がんが悪さを
しているのか?

ただ、言えることはこのまま抗がん剤治療をしていて
良いのだろうかと考えてしまう。

いろいろと代替治療というものあるらしい。

というか、すでに代替治療もやっている。
バカ高い漢方薬を飲んでいる。
父の信頼する友人から、紹介された漢方薬で
それを毎日飲んでいる。

気のせいか、髪の毛は抜け落ちないし、
感染症にもかかっていない。

それは漢方薬のせいなのか、抗がん剤が進歩したのか
それとも他にも要因があるのかわからない。

ただ、バカ高いので、経済的にかなり苦しいだろうと思う。

他にもガンの代替治療で有名なのが「リンパ球療法」らしい...

これもバカ高い。
1回の治療で25万くらいかかるらしい。

それを6回で1セットということで...計算できないくらい高い。

それでも、良くなるのならば治療を受けさせたいというのが
家族というものだ。

ガンの代替治療はネットの評判ではイマイチ...
というか、もっぱら効かないし、悪徳業者が多いという評判が多い。

最高の治療は今受けている治療、すなわち健康保険が適用となる
治療ということのどこかで聞いた。

それでも3大治療の他に何かを受けさせたいと思ってしまう。

お金で解決する問題ならば、有名人はガンでは死なないという
ことになるか?

それでも希望を持ちたい。

そういえば病院にガンに関する相談電話サービスのポスターが
あったから、電話してみよう。


【追記】
食事療法もあるようだけど、なかなか難しい模様。

食事療法の本を読むとヨーグルトはがん治療というと
語弊があるかもしれないけど、良いらしい。

それを本人に伝えるとあまり乗り気ではない。
そういえば、父はガンになる前に食事にはかなり気を使っていて
毎日大量のヨーグルトを食べていた。

あんなに気を使っていたのに、全然効果がなかった。

| 父のこと | 23:55 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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大腸がん摘出手術

平成20年5月27日父の大腸がん摘出手術の日がやってきました。

父は手術のため10日間ほど絶食をしてきたため
体はさらに一回り小さくなっていましたが
手術当日の朝は元気そのものでした。

「もう俺はまな板の上の鯉だ。
今さらじたばたしてもしょうがない!」

と、豪語していましたが、
それは強がって自分を奮い立たせているために
言っているように聞こえました。


手術は午後1時から始まるということで
12時45分にオペ室の看護師さんが迎えに来ました。

入院用のベットからストレッチャーに乗せ替えられて
いよいよ手術室へ!

父はやや緊張した面持ちで手術室へ入っていきました。

手術の立会いには私の他に、母と姉も来ていましたので
3人で待合室に向かいました。

手術の予定は5時間ということで、
かなり長い時間待たなければならないと
覚悟していたのですが、
今後のことをいろいろ話しているうちに
いつの間にか時間が経ち、予定時間の1時間も前に
看護師さんが迎えに来ました。

想像していた感じだと、手術を待っている時って
みんなそわそわして、落ち着かない感じなのかなと
思っていたのですが、意外とそんな事もなく
3人とも落ち着いていました。


とりあえず手術室に向かうと手術室から
医者か看護士か技師か何かよくわかりませんが
30代くらいの男性が出てきてソッコウで
携帯を取り出し、着信かメールを確認していました。

なんかそんな姿をみてそういう時代だのかな~
なんて勝手に思ってしまいました。
(どんな時代やねんヽ(`Д´)ノ)

とにかく手術は無事終わったようで
父が手術室からでてきました。

その姿を見て...驚きました。

今まで見たことが無いくらい顔が真っ青でした。

でも意識は少しだけあるようで
しきりにタンを取ってくれと言っていました。

「無事終わったよ。」とだけ声をかけて
後は集中治療室へと運ばれていきました。


今度は執刀してくださった先生から呼ばれ
手術の結果を聞かされるとこになりました。

そして呼ばれた部屋に入ったらビックリ!

取り出した父の大腸が机の上に広げられていました。

今の時代こういうのって見せるんですかね?

がん細胞初めて見ました。

確かに何か色とりどりで体に悪そうな姿をしていました。

そして先生の報告だと開腹してみてCTに写らなかった
小さなガンとかは目視では確認できなかったということで
とりあえずは成功ということで良かった、良かった。

その後、集中治療室の父と少しだけ面会できるということで
3人でまた会いに行きました。

父はやっぱり顔色が悪くて表情もかなり辛そう...

正直言ってかなりビビリました...

でも、ビビッてばかりもいられないので
手を握り全て成功したよと報告だけしてきました。

父はタンが絡まるようで看護師さんにしきりに
チューブを入れてタンをとるように言っていましたが
看護師さんはそんなに頻繁に言われると迷惑みたいな感じで
少しは我慢してくださいと言われていた。

ここでも、今の時代そんなもんなのかと...

なんか私達は全てが初めての体験ですから
全てのことが不安に思えてくるのですが
看護師さんにとっては日常でしょうから
私達にとって大したことのように思えることも
そんなに大したことじゃないのでしょうね。

しかし、欲を言えば、もう少し優しくして欲しかった。
欲を言えばね。

とりあえず、ワガママな父ですがどうか一晩だけ
面倒見てやってくださいと深々と頭を下げてきたので
なんとか一晩だけは面倒見てくれるのではないかと思い
帰路へと付きました。

帰り道、車の中で祖母へ手術が無事終わったことを伝え
なんとなくホッとして涙がでてきました。

5月9日にガンを発見し、5月27日に手術。

思えばかなり順調に事が進んできたような気がします。

神様、ご先祖様どうもありがとうございます。


そして、手術をしてくださった先生、看病してくれる
看護師さん、どうもありがとうございます。


そして最後に、父ちゃん...よく頑張ったね。

| 父のこと | 19:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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初めての入院生活

平成20年5月16日から父の入院生活が始まりました。

父が入院した病院は実家から車で25分ほどの
隣町の総合病院です。

この病院は平成12年に建設されたばかりで
地元の暗い公立病院とは大違い。

やはりきれいな環境で病気と闘えると思うと
家族一同少し安心しました。

父の体の状況を検査するために初めは内科に入院することに。

父は同じ部屋の患者に丁寧に挨拶している姿に
なんだか変な気持ちになりました。

父親の存在って何だか超えられない壁のように
見えていたのですが、急に父の姿が小さく見えるようになり
俺が何としても守ってやらねばなんて思ったりしました...


CTやエコーなどの検査をした時に
内科の主治医に母と私だけが呼ばれました。

父の現状の説明でした。



かかりつけ医の見解と同じく
大腸の横行結腸という部分に拳大くらいの
大きさのガンがあるとのこと。

また、肝臓にも転移しているとのこと。

もしかしたら手術ができないかもしれない
と言われました。


またしても、体中に電気が走りぬけるような
衝撃を受けました。

ほんの数ヶ月前まであんなに元気にしていた父が
本当にそんなにひどいのだろうか...

本当に手術できないのだろうか...

そんな疑念を抱きながら、さらに主治医は
言いました。


西洋医学だけが病気を治す方法では無い。

とある人の話で、もう手術もできないほど病気が悪化していて
何も治療法が無い人が、自分の大好きな旅にでたのだそうです。

そして3ヶ月後に帰ってきたときには病気がすっかり治っていたという話です。

要するに病気を治す方法は何も西洋医学だけでなく
免疫力を高める方法とか東洋医学でも病気は治ることが
あるという話なんだと思います。

励ましてくれているのでしょうが
その時はショックで何も考えることができませんでした。

ただ手術ができれば生存率も上がるということで
何とか手術できないか外科と相談してみるということでした。

ただ手術するにもリスクがあり、手術をすることにより
免疫力や体力が低下し、その間に爆発的に転移した
ガン細胞が増殖してしまう危険性もあるということでした。

手術がもしできるとしても、後は家族で手術をするかどうか
決めて欲しいということでした。


病院からの帰り道の車中に何と父に話そうかと
母と相談しました。

父は手術をすれば治ると思っているようでした。

だからもし手術ができれば手術する方向で
行くことにしました。

父には主治医と話したことは黙っていることにしました。

人間には種類があると思います。

自分の未来を受け止めて、悔いの無い人生を送ろうと
頑張れる人。

自分の未来を受け止めることができずに、
そのまま潰れてしまう人。

たぶん父は後者です。

父は病気が治ることを信じて頑張れる人だと思う。



2~3日後にまた主治医から話がありました。

外科と相談した結果...
手術できるということになったとのことでした!

しかも1週間後の5月27日に手術をするとのこと!

まさかこんなに早く手術できると思わなかったので
私が受けるわけでもないですが心の準備が...

とにかく良かった、良かった。


そして大腸の手術をする場合は手術の1週間前は
何も食べることができないようで栄養は全部点滴で
採ることになりました。

やっぱり食べないとダメですね。

みるみる体重が減っていくのが見ていてわかりました。

どんどん父が小さく見えるようになってきました。


そしてとうとう手術の日がやってきました。

>>大腸がん摘出手術の日がやって来た

| 父のこと | 21:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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知られざる父の姿

早速紹介してもらった総合病院で診察を受けてきました。

私の希望はいち早く入院していち早く治療してもらうことでした。


しかし、それは皆同じですので入院は30人もの人が待っているとの事...


それでも父の容態は急を要するという事で
早めに入院の措置を取ってもらえる事に。

待っている人には悪いと感じつつも
少し安心しました。

しかし、逆にそんなに父の容態は悪いのかと
不安な気持ちもありました。

結局、月曜日に診察をしてもらい
その週の金曜日に入院することになりました。


入院するまでの間に父はさも旅行にでも行くかのように
いろいろと荷物を揃えていました。

体力が落ちないように病院の階段を昇り下りするために
「ズック」を新調したり、
あとなぜか洋服も新しいのを買っていました(笑)

その間に私は父に何かしてあげたいと思ったのですが
旅行や外食が嫌いなので何をしてあげたら喜ぶかなと
考えていました。

父に何かしたいことはないか聞いてみましたが
案の定何も無いということでした。

そこで私は父と話をしようと思いました。

今まで父の人生を聞いたことがなかったので
夜中までじっくり話しをしようと思いました。

そしてその週は実家に泊まることにし、
毎日父の話を夜遅く聞きました。

今まで知らなかった父に驚きました。

小さいときに映画館まで行ったときに
行きは映画のことしか頭になかったために
帰りの道がわからなくなってしまったこと。

高校のときは母と二人暮らしで
自分は定時制の高校に通い
日中は歯医者に金属を売る仕事をしていたこと。

その仕事で歯医者に可愛がられて
父が一番売り上げが多かったということ。

20歳くらいのときに母が亡くなり
一人っきりになったこと。
(兄弟は6人いたけどそれぞれ独立。
父は一番下だった。)

その後に変わり者の親戚を預って
奇妙な二人暮らしをしていたこと。


去年父は家を買いました。

姉が結婚し、アパートを探していたのですが
犬がいたのでなかなか見つからず
しびれを切らした父は中古の家を買いました。

その中古の家は道路に面していない土地に建っており
通行の便は悪かったのですが金額的に魅力だったために
購入したようです。

私は何も家を買うことないんじゃないかなと思っていたのですが
父は実家を出た姉に何かをやりたかったようです。

実家は私が長男ということもあり、私がいずれ相続することになりそうなので
姉にも何か残してやりたかったということでした。

いろいろな話をしました。

今まで知らなかった父の姿がちょっと垣間見えました。


父の話を聞いて、布団に入ると毎日涙が止まりませんでした。

神様、どうか父の病気を治してください。

>>初めての入院生活へ

| 父のこと | 23:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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それは突然やってきた...

それは突然やってきました...

平成20年5月9日でした。

私は普通に仕事をしていました。

すると珍しく仕事中に携帯が鳴りました。

着信を見ると父からでした。



仕事中に父から電話が入るなんて
なんとなく嫌な予感が...



そんな思いを抱きながら電話に出ると
父から重要な話があるから仕事の帰りに
実家に回って欲しいとのことでした。

しかし、今日は会社でちょっと遅めの歓送迎会があり
とりあえず顔だけ出して帰ることに...

30分ほど歓送迎会に顔を出し
「皆に何かあったの?」聞かれながらも
自分でも何があったのかわからないために
不審に思われながらもやっとで店を出て家路につきました。

帰り道では何があったのだろうと考えを巡らせながら
なんとなく引っかかる事が頭をよぎりながらも
急いで実家へと向かいました。



そして実家に着くと父と母が茶の間で
待っていました。

すると父が早速話し出しました。

「今日こないだの検査の結果が出た。」


「大腸ガンだった...」





突然の報告に体中に電気が走ったような
ショックを受けました。

実はちょっと前から父はすごく疲れるようになり
目に見えて痩せてきていました。

腹が痛いと言っていたのですが
どうせポリープとかだと思っていました。



今思えば尋常じゃないやせ方だったと思います。

確か62キロあった体重が2、3ヶ月で55キロ位に
なったと思います。

3月頃から体調の不良を訴えていた父ですが
実はこの時にもう一つの問題を抱えていました。




昨年の11月に私の姉が子供を産みました。

その子供が先天性の心臓の疾患を患っていました。

心室中隔欠損症という病気でした。

心臓は4つの部屋に区切られているのですが
その中の心室という部屋の壁に穴が開いていて
血液の流れに異常をきたすのが心室中隔欠損症です。

3mm程度の穴であれば放っておいても
自然と穴はふさがる時もあり外科的処置は必要ないらしいのですが
姪っ子の場合は穴の大きさが8mmと比較的大きな穴で
手術する必要がありました。


家から1時間ほどの大学病院に入院することになり
初孫が心配で父は毎日その病院まで通っていました。

心配で心配でしょうがなかったのでしょう。


どこもそうだと思いますが、父親というものは
不器用な生き物です。
(将来私もそうなるのでしょうが...)

不器用であるために、孫の病気の治療が一段落するまで
自分の検査はできないと言っていました。

実際に検査をしたのは4月末だったと思いますが
3月上旬にはかかりつけ医から精密検査が必要と
言われていたようです。

ですが、一つのこと(孫の看病)が終わるまでは
次のこと(自分の検査)はできないということで
結局遅れ遅れになってしまったのです。


かかりつけ医の紹介で地元の総合病院を
紹介され、再度検査を受けることになりました...

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